石川県能登町在住。訪問看護師の田中美穂と申します。
私は今、能登町から車で1時間ぐらい離れた輪島市で訪問看護をしています。

私は2021年より、輪島市の在宅医療の伝道師が在籍する「弘和会訪問看護ステーションみなぎ」に所属し「病院に依存しない地域づくり」「予防を重視した看護ケア」「日々の暮らしを継続する中で重要な地域栄養ケア」を学び、有償ボランティア団体キャンナスとしての活動も共にさせて頂きました。

「どんな方でも住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けたい」という想いや、生活を大切にすること、地域密着で住民の健康を守る訪問看護の基礎を学んでいく中で「能登町の在宅医療の受け皿を整え、生きる場所・最期を迎える場所の自由な選択肢を確立したい」と考えるようになりました。



この震災を受けて、月曜日から金曜日まで輪島で業務としての訪問看護にあたり、土曜日と日曜日の休日を利用して能登町で在宅避難者の健康チェックをボランティアで回ってきました。

当初は関わった方のかかりつけ医の稼働が確立された時点でボランティアでの健康チェックは終了する気持ちで始め、現在では58名終了しておりますが、10名は独居の高齢者や、老夫婦での生活を送られている方で、血圧の上昇、不安が強くメンタルケアが必要な方、認知症の高齢者など、自宅で暮らしたい思いを強く持っている方、自身の持病による身体のコンプレックスを持って避難所生活を送れない方の安否確認を電話や自宅訪問を継続して実施している状況が続いています。

震災後ボランティアで能登町の在宅避難者を訪問している中で能登町には看護師の目、看護師の手を必要としている人が沢山いることを知りました。

更にこんな状況になっても能登町を離れたくない人が沢山いることを目の当たりにして早く行動に移したいと思い、本プロジェクトの実施に至りました。

今まだこの後、能登町にどのぐらいの対象者が残るのか、復興がどのぐらいかかるのか見通しのつかない中で新しいスタートをきることが可能なのかもわからない状況ですが、今もなお住み続けている方々の未来のために、能登町に在宅医療の受け皿になれる訪問看護ステーションの立ち上げをしたいと思っています。

能登町は高齢化が進み在宅医療のニーズが高まる一方で看護師の高齢化も同じように進み、人材不足の問題を抱え、ニーズに追いついていない状況でした。

震災を受けて既存の訪問看護ステーションは若い看護師の担い手が自宅の倒壊や親、子供の生活環境の選択を理由にやむを得ず町を離れ、訪問件数や訪問対象地域の縮小を余儀なくされています。

その反面、高齢者や医療を必要とする人は「能登町で暮らしたい」と訴えています。

発災した1月1日、能登町は最大震度6強。津波の被害を大きく受けた地域もあります。

今は電気が通り、水道が使えるようになってきており、少しずつ道路が補修されておりますが、町を見渡せばまだ1月1日に変わり果てた姿のままの能登町です。

写真は、能登町の中でも津波の被害が大きかった町です。この町には私の受け持ちの利用者様が住んでいました。その方の自宅も津波で流され、今はニ次避難されています。


今もなお不安の中、在宅避難を継続している方や、苦渋の選択をして自宅を離れた方が、安心して能登町に帰ってこられるように在宅医療の受け皿として私は能登町に訪問看護ステーションを立ち上げ、町の看護師として能登町を支えたいと思っています。

能登町で安心して「生きる場所」と「最期の場所」を自由に選択できるように、私は看護師として在宅医療の受け皿になりたい。

能登町では高齢化が進み既存の訪問看護ステーションの看護師も同じく高齢化と人離れが進んでおります。
在宅医療の可能性は本来であれば幅広く日常生活の中で困っていることに寄り添うことや、日頃の健康チェック、入浴介助や、より長く自宅で過ごすことを選択できるように食事や排泄、清潔面での生活能力の評価やサポートなど、また最期の時に病院や施設ではなく自宅で過ごせるように医療的フォローをする事など多岐に渡ります。
しかし能登町の在宅医療の受け皿になる訪問看護ステーションの規模縮小や人員不足により受け皿が小さくなってきている事が能登町を含む奥能登の在宅医療の実態です。
そして更に震災を受けて拍車がかかり若い世代の看護師は避難を含め能登から離れざるを得ない状況になりました。
その反面、どんな状況になっても「生まれ育った能登町で暮らしたい」「自分の家を守りたい」「自分の家で生きたい」「能登町で最期を迎えたい」と強い思いを持って能登町に残ることを決め在宅避難をしている方が多数見られている現状です。

能登町は「なんにもない町」であり、「なんにもない」が「ある」。

私は能都町で生まれ、能都町の海や山の自然の中で、じいちゃん、ばあちゃんに生きる力を教わり育ちました。
能都町は「自然の中に溶け込む」良さがある中で先人が育んだ歴史や祭りが沢山あり、生まれ育った人はもちろん、訪れた人をも魅了する、どこか懐かしいみんなの故郷のような町です。

また、「何もない良さ」がある中で、先人が育んだ歴史や祭り事が沢山あり、生まれ育った人が心から愛する「能登にしかないもの」が沢山ある町です。
一方で以前より問題になっていた過疎化に加え、能登町に住む人は2人に1人が高齢者という著しい高齢化は進んでいます。
震災後には更に若い年齢層が学校や仕事の選択により、この土地を離れることを余儀なくされています。
その中でも自分の生まれ育った町を離れたくない人もたくさん残っています。
この町に残る人が自分の生きる場所を安心して選択できるように私は能登町の在宅医療の受け皿を構築したいと思っています。

訪問看護ステーションの立ち上げに必要な資金に当てさせて頂きたいと思っています。

訪問看護ステーションを立ち上げるには必要な手順を踏み、運営に関する基準を満たした上で、看護師の人員の確保、開設に伴う必要な備品が数多く有ります。

一般的に訪問看護ステーションを立ち上げるには1,500万円の資金が必要と言われています。

このクラウドファンディングでご支援頂いた資金は、必要な備品(訪問車輌や医療用品、電子機器、事務用デスク、チェア、複合機、鍵付きロッカー、その他)の購入に当てたいと考えています。

また、別途CAMPFIRE手数料(ご支援額の5%)がございます。



私は訪問看護師として働いてきた中で「生きる場所の選択」の重要性を学んできました。
住み慣れた町で過ごす時間はかけがえのない時間です。
震災後、能登の人は大好きな町に恐怖心を覚え、生まれ育った自宅が倒壊し、知らない土地で生きてくしかないのかと大きな不安と絶望感の中で生活しています。
「家で暮らしたい」「先祖が守ってきた家を守りたい」「能登でしかできん仕事があるんや」と能登に残り在宅避難を続けている人が安心して暮らせる能登町にしたい。「持病があるから」「介護・医療が必要だから」「人に迷惑をかけたくないから」「住む家がないから」と苦渋の決断をして離れた人が安心して帰ってこられる能登町にしたい。
「生きる場所」と「最期を迎える場所」を自由に選択できる能登町にしたい。
だから私は能登町で訪問看護師としてできることに尽力したいと思っています。

最後までお読み頂きありがとうございます。

能登で生きてきた人々の笑顔が、これからも絶えず続きますよう、何卒お力添え賜りますようお願い申し上げます。



支援金の使い道

集まった支援金は以下に使用する予定です。

  • 設備費

  • リターン仕入れ費

※目標金額を超えた場合はプロジェクトの運営費に充てさせていただきます。

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